98年8月号WAS! 掲載

(8月17日付 朝日新聞朝刊 27面より)
バー「クライフ」店長急死 常連客ら追悼サッカー
この夏、テツは突然逝った。東京・渋谷で四年半余り、一人で切り盛りしてきたバー「クライフ」は、サッカーファンが集まる店として全国に知られた。その常連客らでつくったサッカーチームの試合の日、テツは店のソファで眠るように死んでいた。店がこの先、どうなるのかはわからない。チームメートらは十六日夕、都内のグラウンドに集まり、「テツの分までサッカーを続けよう」とチームの存続を誓った。心臓の変形というハンディを抱えながら、サッカーを続けたテツ。背番号14は、永久欠番になった。▽クライフの店長、田中哲也さんが、店内で死亡しているのが見つかったのは七月二十六日だった。三十八歳だった。▽チームの練習を欠かさなかったテツが、この日、グラウンドに来なかった。チームメートが店を訪ねると、テツはソファで横たわっていた。前日の朝まで営業しており、寝込んだまま死亡したらしい。急性心不全だった。▽テツが「大好きなサッカーをともに楽しめる店を」と、渋谷から歩いて五分ほどの雑居ビルに小さな店を開いたのは一九九三年十二月だ。店名は、あこがれていたオランダの往年のスター選手ヨハン・クライフから取った。店には大型テレビを置き、ワールドカップ(W杯)や世界のプロリーグなどの試合のビデオを流した。チームの旗やマフラーも壁や天井の至る所に張られていた。口コミで、店は次第に評判となった。■六月開幕したW杯の期間中は、毎日午前六時まで営業した。独身。「自宅に帰らなければならないことはない」と、店のソファで寝る日が続いた。一日も休まなかった。そして倒れた。▽ひつぎには常連客が思いをつづった日本代表のユニフォームが納められた。「天国でもサッカー続けろ」。インクが汗のようににじんだ。■埼玉県富士見市出身のテツは生まれつき心臓に問題があった。それが分かったのは中学時代、雨の中でサッカーの練習中に倒れた時だ。医者からは「心臓が変形している。激しい運動はいけない」と宣告された。▽だが、サッカーはやめられなかった。試合や練習の前には心拍数をある程度まで上げるなどの努力をして、球を蹴り続けた。都立高校でもサッカー部をつくり、主将を務めた。▽店でもチームをつくった。親しい客には「オレ、いつ死んでもおかしくないんだよ」と打ち明けていたが、「店で知り合った見ず知らずの客同士がグラウンドで集まってサッカーをする。これがたまらなくうれしい」と話していた。背番号14は、クライフ選手が現役時代につけていたのと同じ番号だった。■十六日夕、常連客ら約五十人はテツの死後初めてグラウンドで顔を合わせた。黙とうをささげたあと、開店当時からの常連の岡垣良則さん(四三)はこう話した。「店はどうなるかわからないけれど、チームは続けていきたい。それがテツの遺志だと思うし」。テツを忘れないためにも、背番号14は永久欠番になった。▽チームメートの一人はつぶやいた。「ボールを追いながらも、兄貴分のテツさんのの姿を追い続けた」(以上抜粋)