ワールドユース・日本対ポルトガル・TV観戦レポート

ナイジェリア・ボーシ、気温37度。結果的に、このゲームは高原の闘志と小野の輝きが勝利の女神の心を随所で引き付け、最後は南の気迫が彼女の采配を決定付けたという内容だった。これは紛れもない、運命が支配したハイレベルなサッカーであった。こういうサッカーが出来るユースは頼もしい。さんざん非難を浴びたトルシエだが、彼の功績の大きさは、この試合で証明されたと言って良いだろう。A代表とくらべてもユースのサッカーは劣らない。パスゲームという観点からすればむしろユースの方が上ではないか。

これは日本という国家の現状に帰依している。旧態依然としたトップダウンの体質がA代表にはまだ残っている。教えられた技術をマスターし、与えられた戦術をトレースすることが美徳となるといった体質である。敗戦を経た日本が近代化を目指した過程に於いて、そのトップダウン体制は産業界で見事に功を奏した。然しながら近代化の過程はとっくに過ぎ去ってしまっている。もはや、みんなで一丸となって、ミスを補い合い、相乗効果を育もうという姿勢では通用しない。というより、一丸とさせる国家としてのカリスマ性が日本には既に存在していないのだ。A代表の体質は、その事実に気付いていない。あらゆる日本の産業界の決定機構がそうであるように。

ジャパンユースを見てまず感じるのは、個々の確かな技術力だ。ボールを確実にとめる、無理な体制でも性格に蹴るという基本的な技術を、無理に教え込まれたようなぎこちないものでなく、自分だけのオリジナルな技術として、各人が体得している。だから見ていて面白いパスゲームが成立するのだ。確かな技術力がぶつかりあって初めて、確率と運命が支配するハイレベルなサッカーが展開される。

もちろん、手放しで今朝のヤングジャパンを褒められる訳ではない。相手が10人になったことで、優位性を感じていたのは小野だけだった。戦術を無視したポルトガルのアタックにバックス陣は翻弄され捲った。ゾーンプレスは全く機能せず、2人3人とドリブルでかわされる。南の気迫が最後の砦とならなければ、勝利の女神は微笑まなかっただろう。ポルトガルの伝統は選手を一丸とさせる、ここが勝負という時にサボっている選手は一人としていない。ここはピンチという時もまた然り。延長ゴールデンゴール方式でありながら、日本は耐え抜く格好に終始した。

ポルトガルの見せた国民的な一丸性を、既に幻影となっている日本の国家アイデンティティのどこに見い出して行くかが全ての日本人の課題だ。サッカーにおいては、歴史の差と片付けられてしまうが、ようやく吃立した個人で選抜チームが組めるようになったジャパンユースには今後十分に期待して良い。彼等は旧態依然とした日本のシステムの腐敗部分に全く感化されていない。

16 Aprile 1999
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