左利きへの差別をなくそう

 世の中には,左利きと右利きの人がいます。僕は,数少ない左利きの一人として下記にあるような考えを大多数の右利きの人たちに,知らせたいのです。それは,意識過剰になっているんじゃないかと思うところがあるかもしれませんが,そういう事が差別なのじゃないかと僕は思うのです。

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                                   吉岡 英芸
 世の中には、左利きの人が存在します。そして、右利きの人にはわからない不自由が、世の中には存在します。それを右利きの人達に少しでも認識してもらおうと思い、この 文章を書いております。この世の中を左利きの人に都合の良いように変えたいと思ってるわけではありません。ただ、右利きのあなたの意識の奥に、そういうことがあるのかと、感じてもらいたいのです。例えば、自動販売機。コインの投入口はどちらについていますか?自動改札で、定期を入れるのはどっちの手ですか?公衆電話で、手帳はどっち側におけるようになっていますか?こういう何気ない場面で、私達は苦労をしています。
 私は、先日こういう経験をしました。お酒の席で、いつものように左手でお酒をついで、左手でグラスを持って、盃を受けました。すると、ある人に左手でやるのは失礼だから右手でやる習慣をつけなさいといわれたのです。その時は、わけもわからず肯いてしまいましたが、なぜ左手だと失礼なのでしょうか?私は納得できません。
 例えばイスラム教の場合、右手は神の手、左は不浄の手というしきたりがあります。これは宗教ですから、どんな決まりをつくろうとその人達の自由です。イスラム教を信じてる人は、左利きなんてとんでもないと思うでしょう。しかしここ日本では、信教の自由がありますし、はっきり言って私には何の関係もありません。なぜ左手だというだけで失礼なのでしょうか。私には、ただの差別にしか思えません。
 もう一つ握手の話しをします。あなたは握手するとき、右手が無意識のうちに出てしまうでしょう。それは右利きの人には当然です。しかし私達は逆です。もし左手を先に出されたとしたら、ちょっといやな感じがしませんか?なぜいやな感じがするのか、考えたことがありますか?
 握手を右手でするには理由があります。力の強い右手をお互い握り合うことによって、自分達は無抵抗であることを示しているのです。お互い友好関係を持ちたいと。ならば左利きならどうでしょう。力の強いのは、明らかに左手です。それなのに右手で握手するということは、左手で相手を攻撃することを意味するではありませんか。確かに、右手同士、左手同士でしか向き合った場合握手はできません。ですから 多数派の右利きの方が偏見をなくしてくれるしかないのです。
 左手で何かされた場合、理由もなくただ失礼なやつだと思う前に、その人が左利きなのかなと意識してみてください。街で時間を聞かれて、時計見れば?と思う前に、この人は眼が見えないのかな?と意識を変えるのと同じことです。一声かける事によって、話しが広がりお互いが、お互いの立場を理解し合えるでしょう。
 私は、なぜ左手を使うということだけで失礼になってしまうのか、その明確な理由が知りたいのです。右利きの人が変に感じるというのが左利きにとってはただの差別としか認識できないのです。私は、こういう偏見を世の中からなくそうと考えています。
 左足でサッカーをしよう。スポーツするなら、左利き。芸術だって左利き。右脳を使って人生を謳歌しよう。これは、左利きは素晴しいという偏見か。
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